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大分家庭裁判所豊後高田支部 昭和48年(家)33号 審判

申立人 福田安男(仮名) 昭四四・九・一一生

右法定代理人親権者父 馬場満夫(仮名)

主文

申立人の氏「福田」を父の氏である「馬場」に変更することを許可する。

理由

一  本件申立の要旨は、申立人は父馬場満夫と母福田洋子との間に生まれた婚外子であるが、右父の認知を受け、また父母の協議により親権者を馬場満夫と定める旨の戸籍届出がなされ、さらに申立人は現在右父と同居し、同人により養育されているうえ、明春幼稚園に入園する予定であるので、この際親権者である父の氏「馬場」を称したく、本申立に及んだ。というにある。

二  よつて、審按するに、申立人の親権者馬場満夫および申立人の実母福田洋子に対する各審問の結果、ならびに家庭裁判所調査官の本件に関する調査報告書、豊後高田市長認証の戸籍筆頭者馬場満夫関係戸籍謄本同福田洋子関係戸籍謄本及び豊後高田郵便局長証明の内容証明郵便等を総合すると、申立人が申立事由として述べておる事実は、すべて認められるほか、上記馬場満夫とその妻京子は、昭和二八年一〇月七日婚姻し、両名間には同二九年一一月一二日出生の長女美佐子と同三四年二月一八日出生の二女純の二子があること、同満夫・京子は、横浜市○○区内で婚姻して同棲し、当時右満夫は同市内の○○造船横浜工場に勤めていたが、同三一年頃満夫の肩書本籍地に帰住し、満夫は豊後高田市内で食堂を開業するにいたつたこと、ところが右営業の関係で夜満夫の帰宅が遅れがちだつたこと等から夫婦仲が円満を欠くようになり、右京子は同三五年頃右二子を残し単身で横浜市○○区○○の実家に帰つてしまつたこと、その後同三七年頃京子は子供に会いたいと申して戻つたが、満夫の隙を窺い、前記二人の子を連れて再び前記実家に帰つてしまつたこと、満夫は自身または長女の就学していた小学校の校長等を介して同京子宛子供を返えすようにと再三申入れたが、同女はついにこれを肯んじなかつたこと、そのようなことで孤独の身となつた満夫は同三八年五月頃から福田洋子(昭和一五年二月一〇日生)と事実上結婚するにいたり、同女との間に同三九年九月二五日正恵、同四四年九月一一日文夫の二子を儲け今日に至つておつて右正恵は同四三年九月二六日馬場満夫の戸籍に入籍し同氏を称しておること、申立人についても前記のごとく同人が明春幼稚園に入園することとなり、同居の父と氏を異にすることは他の父兄・児童等から兎角奇異の眼をもつてみられる懸念が存するところより、満夫は再三に亘り妻京子に対し申立人の改氏入籍方について諒解同意方を求めているが、未だ同女の同意を得るにいたらないこと、同女の反対理由は申立人を入籍させるときは戸籍面上夫満夫が他の女性との間に子供を儲けておる事実が明らかとなり、前記美佐子、純二子の就職・結婚等に不利となるからであるということにあること、現在美佐子は一八歳で看護婦をしており、また純は一四歳で中学三年生であること等の事実が認められる。

以上の事実関係によれば、本件申立人の氏変更については正妻京子の強い反対があり、また申立人父満夫と右正妻間には未婚の二子もあることであるから、軽々にこれを認容すべきでないことは勿論である。

しかしながら、右正妻の反対理由である申立人の入籍による嫡出二子の就職・結婚等に及ぼす不利な影響の点については、長女の美佐子は既に看護婦たる職を得ておつて、すくなくとも同女については、就職上の懸念はなく、しかのみならず、婚外子であり、かつ申立人の実姉である前記正恵は既に昭和四三年九月父の氏を称する入籍が済んでおるのであるから、申立人の改氏入籍を俟つまでもなく、馬場満夫が正妻外の女性福田洋子との間に子を儲けておる事実は戸籍面上明白となつており、さらに右満夫と右正妻および嫡出二子とは、昭和三七年以来既に一一年の長きに亘つて別居を続けておつて、同満夫と同京子間の婚姻関係は夙に破綻し戸籍面上にその形骸をとどめているに過ぎない、いわゆる外縁関係に近い実態にあるものであるから、戸籍面に申立人の入籍事実が加わつたとしても、これにより右嫡出二子の就職・結婚により不利な条件が加わるものとは考えられないものといわなければならない。

反面申立人は、前記のごとく現在父の馬場満夫と同居し、その収入により生活を保持しておるものであり、殊に明春幼稚園入園のため目下その入園準備を整えておるところ、家計の主宰者であり、実父である右満夫と氏を異にすることは、右手続に当つても種々不便があるうえ、入園後父と氏を異にしていることが他の園児やその父兄等に知れるときは兎角の風評等を招き申立人の幼心に暗い影を投ずることは必定と判断されるし、また同一共同生活体内における姉弟が氏を異にするということも、一般に奇異の感をいだかせるものであることは到底否定し得ないところである。

もとより、右馬場満夫が正妻京子との婚姻関係を合法的に解消することに努力し、もしくは同女との間の嫡出二子の監護養育等について具体的な義務を尽くす等のことなく、前記福田洋子との間に重婚的内縁関係(現在においては、前記のごとく、むしろ外縁関係に近い実態を具えるにいたつてはおるが)をもつにいたつたことはその原因の如何を問わず不貞の非難を免がれないものであるが、さればとてこれにより出生した申立人等婚外子その者には罪がないものといわねばならない。

申立人は、法律上嫡出子という身分取得を否定され社会的にも不遇な立場に置かれておるのであるから、さらにこの上現実の生活共同関係にある父の氏を称する途をも塞いでしまうということは酷に過ぎるものというべきである。

児童福祉法第一条は、児童を健全に育成し、その生活を保障し、かつこれを愛護すべきことを国民の一般的義務として規定しており、同法のかかる児童の福祉保障の法意は、児童の私法的権利関係の設定変更についても、他の法益との調整を考慮しつつ可及的に尊重されなければならないことは当然である。

しかして、このことは児童が嫡出子であると、婚外子であるとによつて差別さるべきでないことも憲法第一四条の趣旨に照らし明白である。

そうであるとすれば、本件においても、正妻の京子および嫡出二子の立場(法益)は、前記馬場満夫をして婚姻費用並びに監護費用の分担についてその義務を尽くさせること(因みに右京子等からは現在まで当該費用分担についての申立はなされていない)等の方法により可能なかぎりこれを保護することとして、申立人の父の氏への変更はこれを認容するのが相当であると思料される。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 石川晴雄)

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